2008-12-04

テディベアは心のセラピスト

テディベアって本当に不思議なもので、ただ、隣にいてくれるだけで、なんだかとてもやさしい気持ちになりませんか??落ち込んでいるときは、そのおどけた顔で元気付けてくれるような、、、うれしいときは一緒になって喜んでくれているような、、、 もし、こんな不思議な力を持つテディベアが、あなたの愛する誰かの残した、大切なお洋服から作られたテディベアだったら、、、、、、

アメリカに住んでみて感じたことは、小さな子どもから定年退職をしたお年寄りまで、多くの方がボランティア活動に参加をしているということ。
「わたしにも何かできることはないだろうか??」と、とあるボランティア広告のホームページをなんとなく眺めていたところ、「メモリーベアを作ってくれる針子さん募集」の広告が目に入ってきました。
メモリーベア、、、あまり馴染みのない名前ですが、他にも、メモリアルベア、リボーンベア(生れ変りのベア)、トレジャーベア(宝ものベア)などと、いろいろな名前で呼ばれているベアです。亡くなられたかたの愛用していたお洋服などから、テディベアを作り、愛する誰かを亡くしたご家族の心の癒し、支えとなってもらいましょう、、、というホスピスの一環としてのプログラムです。テディベアはもともと大好きだったし、作ったこともある、、、これなら、わたしにも出来るボランティアかもしれない、とすぐにこのプログラムの担当の方に連絡を入れたことを覚えています。

このボランティアをはじめてから、まだ1年余り。その間に作ったメモリーベアの数は、、、、100体を超えるでしょうか、、どれもたくさんの思い出の詰まったベアたち。新しく姿を変えて、愛する家族の元へと帰っていくベアたち。。メモリーベアを受け取った家族からは、心に響くメッセージをたくさん頂くことがあります、、、涙を流して、ただただ、抱きしめて喜んでくれる。わたしの作るベアで、一握りだけれど、心に大きな大きな傷をやんで、途方にくれている人たちの心を癒すことが出来るんだ、、、、、このボランティアを続けているのは、ベアを受け取ったご家族からの暖かいメッセージで、実際、私自身も救われているからなのだと思います。

どのメモリーベアもそれぞれの思い出があるのですが、わたしが一番印象に残っているベアたちは、白と黒の水玉のワンピースと、モノトーンのワンピースの2着から、出来る限りのベアを作ってほしい、、、というものでした。多くの場合、わたしたちボランティアの針子は、亡くなった方やご家族の詳細を伺うことはありません。でも、このメモリーベアの注文主の方は、ボランティア先のホスピス企業で働いている方で、ワンピースの持ち主は、彼女のおばあさまでした。彼女は結婚が決まっており、おばあさまもそれはそれは、孫娘の結婚式に出席するのを心待ちにしていたそうです。結婚式に着るように、、と水玉のワンピースまで新調していたそうです。しかし、その水玉のワンピースに腕を通すことはなく、天に召されたそうです。おばあちゃんっ子だった彼女は、どうしてもそのワンピースでベアを作ってほしい、、と。そして、もう一着のモノトーンのワンピースは、おばあさまが毎週末、教会に行くときに来ていた、思い出のワンピースだったそうです。わたしは、この2着の美しいワンピースから、メモリーベアを7体作りました。
仕上がったベアを持っていくと、わたしを抱きしめて喜んでくれました。
「作ってよかった、、、」、そう思う瞬間です。この瞬間が、わたしの心をまた暖めてくれるのです。

テディベアを受け取る側も、そして作る側も、ともになぜか癒されてしまう。。。テディベアって本当に不思議な力を持っていますよね。


あなたもテディベア・アーティスト!

シュタイフやメリーソートといったメーカーによる既成のテディベアのテディベアではなく、個々のテディベア・アーティストが作ったベアのことを、「アーティストベア」と呼ばれています。 1970年代に、アメリカで多くのテディベア・アーティストが生まれたといわれています。1980年代にはいると、世界中にも広まり、日本でも数多くのアーティストが活躍をしていますね。ただ、テディベア・アーティストとは、他の人に売るベアを作っている人だけを指すのではなく、たとえどんなテディベアでも、世界にひとつだけの、自分だけのベアを作れば、その人はもう、テディベア・アーティストのひとりなのではないかな、と思います。

さて、わたしが初めて、アーティストベアと触れ合うことができたのは、日本テディベア協会が主催する「テディベア・コンベンション」ででした。このテディベア・コンベンションは、毎年6月に東京で2日間に渡り開催され、世界中からもテディベアファン、たくさんのアーティストが参加します。まさに、「テディベア大祭り」です!アンティークのベアから最新限定のベア、有名アーティストのベアに至るまで、こんなにたくさんのベアに囲まれたことは今までにない、という程の数のベアたちがお迎えしてくれます。

ここで、わたしは、ひとつのベアに出会います。
マーガレット・バブナーさんという、オーストラリアのテディベア・アーティストによって作られたベアです。
たくさんのアーティストベアが並ぶなか、マーガレット・バブナーさんのベアに不思議と吸い寄せられました。彼女のベアは、ベアの鼻がカンガルーの皮でできているのと、ご自身でモヘアの染色をしているのが特徴です。わたしの出会ったベアは、なんとも独特なチョコレートの様なカフェオレの様な甘い色のモヘアと、そして、ベアの胸元と手足には、とても繊細で美しい刺繍が施してありました。アーティストの愛情がたっぷり詰まったベア・・・・・・・・ わたしは、一目ぼれしてしまいました。すぐにでも連れて帰りたかったのですが、その子のお値段は、わたしにとってはとても大きく、、、決心が出来ず、残念ながら、その日は泣く泣く、その子とお別れをしたのでした。

でも、、このベアとの不思議なめぐり合わせは、この1回だけではなかったのです・・・・・・・


テディベア・コンベンションの日程については、日本テディベア協会のホームページにてご確認くださいね。ちなみに、来年度(2009年)は、6月20日、21日の2日間のようです!

2008-12-03

手作りでテディベア

フェルトやコットンの布地などを使ってテディベアを作ってきましたが、ある日、インターネットでいろいろとテディベアのことを調べていたところ、とあるテディベアスクールでのお教室を知りました。もちろん、すぐに受講の申し込みをしたのは言うまでもありません。お教室のあったお店は、残念ながら去年閉店してしまったのですが、閑静な住宅街の中にある小さな一軒屋で、一階がモヘアなどのテディベアの材料のお店、二階がお教室、お庭のガーデニングがとても素敵な、かわいらしいお教室でした。今まで、本を見ながら自分流で作っていたわたしにとっては、基本的なテクニックから、プロ感覚の高い技術、、、、学ぶことがたくさんのお教室でした。「テディベアが大好き!!」というお教室のお友だちと、ベアの話で盛り上がりながら、チクチクと手縫いでベアを仕上げていくのは、また楽しいものですよね。

わたしが通っていたお教室では、クラシックなベアからオリジナルの型紙のベアまで、とても丁寧に指導してくれました。はじめてのオリジナルのベアは、、、顔はかわいいけれど、どうにも体がおもしろくなってしまいましたが、それでも世界でたったひとつの「わたしだけのテディベア」を初めて作ったときの感動は、今でも覚えています。

「テディベアを作ってみたいけれど、どこからはじめればいいのか分からない、、、、、」

では、テディベアの本を一冊買ってみてはどうでしょうか?本屋さんに足を運んでみてください。クラフトのコーナーには、たくさんのテディベアの本が、あなたとの出会いを待っています。「このベア、、かわいい!!」と思った、お気に入りの一冊を買ってみてください。ちなみにわたしは、テディベア作家の小柳英美さんの作るベアがとてもとても大好きで、自分のベア作りにはとても参考にしていました。特に、著書のひとつである、「心をこめてテディベアづくり」は、おススメの一冊です。小柳英美さんのテディベアは、とても素朴なのだけれど愛らしい表情が本当にかわいらしくて、大好きな作家さんのひとりです。

また以前は英語版でしか売られていませんでしたが、最近日本語版も出版となった、「テディベア制作の技法事典」には、テディベアの作り方からオリジナルの型紙の作り方、ベアのお洋服の作り方まで、とても丁寧に説明されています。

また、1日体験などの講習に参加してみるのもいいかもしれませんね。

2008-12-02

テディとの出会い

小さいころからわたしはたくさんのぬいぐるみたちに囲まれて育ちました。クリスマス、お誕生日、何かのお祝いやお土産、、両親はわたしにぬいぐるみをよく贈ってくれていました。動物園で見ることのできる動物のぬいぐるみだったら、何でも持っていたといっても過言でないくらいでした。中でも、一番のお気に入りで仲良しだった子は、大きな大きなフワフワの犬のぬいぐるみでした。まだ4歳くらいだった私と同じくらいの大きさでした。私は彼に「ツン」と名前を付け、いつも一緒に遊んでいたのを覚えています。一緒に遊びすぎて時々縫い目がちぎれてしまい、中のスタッフィングが飛びでてきてしまえば、母に、「ツンが怪我をしちゃった。ツンの手術をしてちょうだい。」とお願いしては、直してもらっていたものです。ツンは、今でも実家で余暇をゆっくりと過ごしています。わたしのテディベア好きは、こうして小さい頃を育ってきたという背景に大きく影響しているのでしょう。とはいえ、テディベアが好きではない、、、という人は、はたしてこの世の中にいるのでしょうか?!

実際に、自分でぬいぐるみを作り始めたのは、中学生の頃でした。母が買ってきてくれた、「テディベアの作り方」の本で、はじめて、「ぬいぐるみは手作りできるんだ!」と知ったのも本当です。テディベアの作り方の本を穴が開くほど眺めては、自分なりに手縫いで何体も何体も作ったものです。まだ中学生だったわたしには、高級なモヘアやグラスアイといったものを買うことはできませんでしたし、その当時モヘアなどといったテディベアの材料を身近でそろえることは難しかったのもあります。気に入った布地とボタンをジョイントとして作ったり、フェルトを使ってカラフルなベアを作ったりなどして、楽しんでいました。当時よく参考にしていた本は、「私のテディベア」という本で、シリーズ化され何冊か出版されていましたが、どうやら今は廃刊となってしまっているようですね。この本には、海外のアーティストさんたちの素敵なベアたちも紹介されていたり、ベアに夢中になり始めていた頃の私にとっては「虎の巻」みたいな本でした。毎日毎日、かわいいベアたちを眺めては、「いつか、こんな素敵なモヘアのベアを作りたい。」と願ったものです。

実際に、モヘアを使ってテディベア作るようになったのは、もっと大人になって成人してからのことです。

「シュタイフ」という老舗のベアの存在を知ったのも、ちょうどこの頃でした。。。。

2008-11-29

ようこそ!

はじめまして!
テディベアをこよなく愛する、Hoshiです。
このブログの管理人です。

まだわたしが中学生だったころ、母が「かわいい本を見つけたから。。」と一冊の本を、わたしに買って来てくれました。それが、初めてのテディベアの作り方の本、テディベアとの出会いでした。

小さい頃から、母の影響でお裁縫やお料理といった手作りが大好きだったわたしは、すぐにでもテディベアを作りたくて、その本に紹介されていたひとつのベアを、家にあった使い古しのハンドタオルを使って、試行錯誤で作ったのを覚えています。
決してかわいくはできなかったし、縫い目もめちゃくちゃだったけれど、テディベアを作ることがとても楽しかったのを覚えています。
それ以来、テディベアとのお付き合いが始まったのです。

高校を家政科に進学したわたしは、さらに手作りの世界にのめり込んで行きました。
その当時、わたしに住む町で、テディベアのモヘアを買うことは難しく、とても高価だったので、フェルトを使って、カラフルな手のひらサイズのベアを何体も何体も作っては、同級生たちに配ったりしていました。本格的なモヘアのテディベアを作ることを覚えたのは、実はもっともっと大人になってからでした。

現在は、ホスピスの団体が行っているボランティアの一環として、「メモリーベア」を作るお針子さんをしています。亡くなった方々の思い出の布地やお洋服などを使って、テディベアを作り、ご家族の方々にお届けしています。わたしの作るベアが、大切な誰かを亡くし、悲しみに涙を流している方々の心を癒すお手伝いをする、大切な「お友だち」となっていると思うと、不思議と暖かい気持ちになります。ベアを受け取ったご家族から、「どうもありがとう。」といったメッセージを頂くと、趣味で始めたテディベア作りが、このような形で役立っているんだ、、と驚きを感じることもあります。
わたしとテディベアの出会いは、こうやって、誰かの心を少しでもポカポカと暖めてあげるためにあったのかもしれない、、と思っています。

このブログは、テディベアが好き!という方々のために、少しでも世界中のいろいろなベアの情報を発信できればと思い、立ち上げました。
テディベアは、国籍も性別も世代も超えて、わたしたちの心に何か響く不思議な力がある、とわたしは信じています。
このブログを通じて、世界中のテディベアファンの方々とお友だちになれれば、と思っています。

ようこそ、テディベアの世界へ!

Bear Arts
管理人 Hoshi